327話 空身 [サンデー結界師]

今や日本人の多くが忘れ去り、
理解できなくなってしまった感のある「武士道」。

以下、サンデー感想。(堅い内容です。ご注意ください;)

冒頭からいきなり、我ながら
「またなんちゅう大きなことを!?[がく~(落胆した顔)]」とは感じつつ、
だけど、時音の会得した「空身」についての説明を読むと
やはりそこにあるのはまぎれもなく日本武道の精神・術技だと。

筋書きは・・・

  まほら様を説得するべく、がんばる時音。(空身使用)
  一方、零と水月は、クーデターを起こす様子。

私のなか、印象に残ったのは「空身」。
なので、きょうはコレに特化。
零と水月の起こそうとしているクーデターも重要ですが
ま、それは今後まとめて・・・にしたいと思います^^
ところで536号、なんか地味にかわいいです[わーい(嬉しい顔)]幸せになってほしいなぁ[リボン]

さて、時音ちゃんの「空身」です。

「空身」について、三毛野の説明。

  波同の極意は、力と同化する事にある。
  それも、自分以外の力とね。
  力に力で返すのではなく・・・同化して無効化する。
  これで、力と力が形をとったものから自由になれる。
  (中略)
  波同・最終奥義「空身」は同化の極致・・・

武道の究極の姿として「相手を包容して同化する」という考え方があります。
相手を倒して殺傷するのではなくて
相手の邪気を清め祓い、正気を取り戻した相手と共に―というもの。
あ、だけど・・・
まほら様は邪気ではなく、「敵意」だね。まほら様には非がないんだものね;

古事記、国譲りの物語にこんなのが。

  諏訪神社の御祭神と鹿島神宮の御祭神の決闘。
  圧倒的な強さで勝ったのは鹿島神宮の御祭神。
  勝者は敗者を滅さず、御社を建立し、神として祀り、和して平和を実現。

勝者である鹿島神宮御祭神は、終始、心の動きを見せなかったそうです。

  「心も体も動じない」

結果、不要な体の緊張がなくなり、
「柔らかみ」と「集中」を同時に可能にしたとき、奥義にたどりつく。
良守と時音は現在、その過程にあるのだと思う。

それから・・・

三毛野の不安はもっともです[もうやだ~(悲しい顔)]

  ただの、とるに足らぬ小さき相手と思われてしまえば・・・
  耳を貸してはもらえない。
  確実に持久戦になる・・・
  空身は、高い感度と
  細かな力加減を常に必要とする神経をすり減らす術・・・
  極限まで消耗しない内に主を説得できなければあの子は―

時音は確かに勤勉で分も弁えた、まっすぐで賢明な女の子ですが
いっぽうで、小さくまとまってる感は拭えない;(私はそんな時音が好きなんですよ^^)
まほら様に「小さき相手」とみなされてしまっても不思議はない;
いくらひとりですごんだとて、相手にされなければ意味がない;

自分の力をまほら様に作用させるベストな方法は
その間に精神的にも肉体的にも断絶する境界をつくらないこと・・・
重要なのは「切り結ぶこと」だと思う。
連接を作ってそこから自分の正気をまほら様に・・・だと思う。

だから時音の
「一族がこれまで払った犠牲が全て無駄に・・・」ってセリフが不安[ふらふら]

堅い感想になった;失礼しました;

来週はお休み。


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